こんな生きにくい世の中じゃ
最近、隣組に監視されているような息苦しさを感じます。
あきちゃんは保育園に行っていましたが、基本的に休園になりました。
24時間子供といる生活です。
小さな子供は、言い方悪いですが、人であって人ではありません。
言って聞くものではないし、基本的に始終邪魔されます。
あきちゃんがもっと小さい頃は、私自身のトイレもご飯もお風呂もままなりませんでした。
夜に寝かしつけても私が身動きすればすぐに起きて愚図るし、起きているときは始終相手していないといけないし、本当に大変だった。
だから、保育園に入れて昼間仕事ができる環境が手に入って、本当にありがたかったのを覚えています。
そんな子供たちが、休校で家にいるわけで。
家にだけいると、元気が有り余った子供たちのエネルギーのやり場が家だけになる。
お母さん、お父さんたちは、24時間それに付き合わせないといけない。
私は、土日2日間だけで日曜日の昼過ぎにはイライラがマックスになるくらい、子供と対峙するのは精神的にきます。
そんな中。
我が家は、買い物でコストコによく行きます。
カードはつっちーが作ったので、つっちーが行かないと入れない。
なので、つっちーと私が2人で行きます。
そうした時に、あきちゃんをどうするか。
連れていくと、「家族で来ている」と言われ、留守番させたら、「小さい子を一人で留守番させる」と言われる。
エネルギーが有り余っている子供のために、外で遊ばせてたら、「(コロナでみんな自粛しているのに)外で遊んでいる」と指摘され。
何をやっても責められる対象になってしまうのです。
常に周りの人に監視されているようで、とても生きづらい。
色んな状況の人がいるということを想像してほしい。
自分と同じ状況の人だけではないことを、理解してほしい。
何事もバランスだと思っている。
命はもちろん大切だけど、命と心はつながっている。
心が壊れても、命が壊れてもいけない。
大人数の中に好き好んで入っていってマスクも消毒もせずにいたら、それは自殺行為なのだが、たとえば、店に入る時消毒液を使わない人がいたら、もしかしたらその人はアルコールアレルギーなのかもしれない。
もう少し、想像力を広げたいな、と思う。
そして、一番大切なことは、
「他人は変えられない」ということ。
まずは、自分が変わることでしか、人は変えられない。
人が変わらないのは、自分が変わっていないから。
自分にとって不愉快な出来事が起こったら、相手を責めるのではなく、「私には何ができるのだろうか?」と考えることが必要なのではないかなぁと思った昼下がりでした。