みとちょんの独り言

バーチャル沼にハマっちゃったみとちょん。思ったことをつらつら書いちゃう。

みんな自由に発言する権利がある。自由に表現する権利がある。

ずっと色々なお気持ちとか見てきたし、自分もお気持ち言いたくなる時もあるけど。

みんなそれぞれ自分の意見を発言する自由があるし、表現する自由がある。

 

すごくいいなと思ったのが、

「私は嫌いです」とか、「私は嫌でした」

という表現。

 

例えば、違法アバターの件とかぶっこぬきワールドとかの件もそうなんだけど、

「それ違法ですよ!」

って言ってるのを見たりすると、

それを言った人に対して「え?あなた何者ですか?」ってなる‥

少なくとも私はそう思ってしまう。

 

VRChatで例えばディ◯ニーのキャラクターを模したアバターを着ている人(B)がいたとする。

Aさんがそれを見て、「それ、違法アバターですよ!!!」って言う。

もしかしたら、それを使ってる人はディズニーから権利をもらってるかもしれない。

では、Bさんが「私デ○ズニーから権利もらってるんですよ」ってAさんに説明する責任があるかと言うとそうではない。

なんの説明をする必要もない。

だって、それはBさんと○ィズニーの契約だから。

AさんがBさんに対する説明責任と義務は、ないのだ。

権利をもらっていないとしても、その権利を追求できるのは、○ィズニーだけだと(私は)思うのだが‥。

 

ただ、ディズニ○のアバターが増えまくって、inしたらほとんどがそのアバターになってしまったとしよう。

そうしたらおそらく、ディ○ニーもしくはVRChatがそれを危険視して使用不可の措置をとるだろう。

もしかしたら逆にデ○ズニーがそれに目をつけて、公式からアバターが販売されるようになるかもしれない。

そんな可能性もある。

 

そしてもう一つ気を付けておかないといけないのは、VRの中に入ったことがない人たちがtwitterなどでがその画像を見たりすることだと思う。

VRの中が無法地帯だという認識をVRをやっていない人たちに植え付けることで偏見の目で見られ始め、自分たちのVR生活が窮屈なものになってしまったりすることがないように自分たちで防衛していくことが大切だろう。

そう言う意味では指摘も必要かもしれない。

 

ただ、その問題と、中で自由にいろんなアバターを使って遊ぶこととはあまり関係がないとは感じる。

違法と呼ばれているのアバターを許しているのは、運営であるVRChatなのだから‥

 

私は、誰かの何かを否定するときは、自分にとってそれがどう不快なのか、マイナスなのかを表現するようにしている。

主語を自分にする。

「世の中がこうだから」と、世界の代弁者になってはいけない。

それは驕りだと思うのだ。


逆に、自分が好きなものに対してはどんどん「好きです」と伝えていくことも大切だと感じる。

子供に「引き寄せの法則」を伝える

先日ブログにも書いた、学級崩壊?の話。
継続中。

授業中に机の上に立ったり、大きな声で話をしたり。

「僕あの子嫌い」って言ってた。

他の子達もそう言ってるらしい。

そしてそれであきちゃんは学校行きたくないって。

それは困ったねぇって言ってたんだけど、

 

つっちーが「みとはすごいんだよ。自分の思った通りに世界を動かせるんだよ」

ってあきちゃんに話をしていて気づいた。

あ、そうだ。引き寄せの法則教えてあげよう。

 

そして、あきちゃんに

「その子が引っ越すとかあきちゃんが引っ越すとか、原因はわからないけど、あきちゃんの目の前からその子がいなくなるよ。これ決定だから。もうそうなると決まってるから、あとはそれが実行されるのを待つだけだよ。よかったね。何かその子を見て思うことがあったら、「ああ、これはもうなくなるから安心」って思えばいいからね」

と。

もちろん「それを他の子に言ったりしたらそうならないから気をつけてね。あきちゃんの心の中に留めておくこと」というのも伝えた。

もし他の子にこの事言って問題になったら困るからね。

 

小学生のうちに引き寄せの法則を使えるとか羨ましい!

私も知りたかったなぁ〜

 

引き寄せの法則、本当に便利?だから!

 

ということで、我が家の問題が、一つ解決。

 

学級崩壊???

あきちゃんの入学式の日。

式が粛々と進んでいる中、同じクラスの子がずーっと喋ったり後ろを向いたり

すごく落ち着きがなかった。

これは先生大変だなぁ〜という印象。

 

それから1週間が経った。

毎日教科書とノートを持たせているけれども、使った形跡はなし。

学校でやってきたと持って帰るのは、幼児向けの迷路や塗り絵。

そして昨日、あきちゃんが、

「〇〇くんが授業中うるさくて、机の上に乗ったりとかして授業やってない」

「〇〇くんがいるから学校に行きたくない」

と言い出した。

 

あー、やっぱりね、と。

 

あの入学式の日から、そうなる気はしていた…

 

とりあえずあきちゃんには、

「授業にならない時間があるのなら、その時間は自分の成長のために使いなさい」と。

お絵描きしたり、本を読んだり、他の時間に使いなさいと伝えた。

 

国語と算数は公文に行っているからまあ大丈夫だろう。

 

そして、まだ低学年だからわからないことがあったら私たちが教えることもできる。

これが高校生とかになったらちょっときついけど‥

 

こうやって学級崩壊が始まるのか〜というのと、

先生の苦労を思うのと、

教育の機会は全ての子供に平等に与えられているということを考えると、

その子を排除して自分の子を教えて欲しいとも言えないが

ひとクラスの教育の機会を一人の子供が奪っていると考えると罪が深い‥とも思ったり。

 

隣のクラスのお母さんたちは、「あの子と同じクラスじゃなくてよかった‥」って思っただろうなぁ

私だったら思う‥

 

あきちゃんが学校に行きたくないというので、とりあえず先生に詳細を伝えた。

先生から返事の電話が。

 

ノートに書いていないということについては、

まだ小学生になって間もないので、ノートを使っていない

塗り絵や迷路は休み時間にやってもいいよと渡している

授業中に落ち着きのない子については、徐々に慣れていって落ち着いてくると思うとのこと

 

うーん

休み時間に遊ぶ用に塗り絵を配布するか???

そんなに過保護???

今の学校はこんなにのんびりしているのか‥??

 

謎は深まるばかり。

小学生になるということ

子供が産まれた瞬間のことを覚えている。

お腹から出てきて「うぎゃー!!!!」と人一倍大きな声で泣いた我が子を

助産師さんが私の目の前に連れてきてくれた。

その瞬間、私の目からは意図せず涙が流れた。

 

あれから約7年。

この前卒園式があった。

今年、息子は小学生になる。

 

この7年。

必ず私の傍にいた息子。

抱っこして、手を繋いで、色々なところに行った。

 

4月になって、入学式はまだだけれども、小学校の学童保育に通えることになった。

小学校は当たり前だけれども、一人で行くもの。

 

今日、息子は産まれて初めて一人で出かけた。

「行ってらっしゃい」と声をかけ、窓から信号を横切るまで見送った。

 

帰りも一人で立派に帰ってくるだろう。

成長して私の元から離れていく息子を見て、とても不思議な気持ちになった。

 

これからもどんどん大きくなって、できることがたくさんになっていく。

初めて出会った日。首が据わった日。はいはいした日。初めて歩いた日。

たくさんの思い出をありがとう。

これからもこれまでも、たくさんの思い出をありがとう。

 

産まれてきてくれてありがとう。

 

こうやって、命は繋がっていく。

 

 

 

 

   

『手紙~拝啓 十五の君へ~』

アンジェラアキさんの「手紙〜拝啓 十五の君へ〜」

 

この前、VRChatで華麗堂というクラシック音楽を聴くイベントに参加してきました。

その日は「卒業」がテーマで、たくさん久しぶりに卒業ソングを聞きました。

 

その中の一つがアンジェラアキさんの「手紙〜拝啓 十五の君へ〜」

また聴きたいなと思って、聞いていたら涙が止まらなくなりました。

 

15歳はとうの昔に過ぎてしまってだいぶん過去のことになっています。

若い人たちを見ると、未来があるということが羨ましいなと思ったりもします。

そして、過去の15歳の自分に伝えたいこともたくさんある。

悩んでたなぁとか、もうちょっとちゃんと勉強しておけばよかったなぁとか。

 

でもね、あの音楽を聴いて、気づいたんです。

この曲は過去の私に伝えたいと思う曲じゃない。

今を生きる15歳の若者たちは、私。

あなたは私。

歳を重ねた私たちだからこそわかることを15歳のあなたに伝えたい。

後悔しないで生きることの大切さ。

15歳の私たちにもっともっと幸せになってほしい。

 

あなたを愛してる。

あなたは私だから。

私はあなただから。

子供のいない生活

当たり前ですが子供が生まれてからずっと一緒に過ごしています。

離婚してから、時々、元夫との時間を過ごすために子供だけ家を開けることがあります。

 

今日から数日間も、我が家は子供のいない日々を過ごします。

つっちーとは出会った当初から子供がいる環境だったので、二人きりの時間はほとんどないので、久々の大人だけの時間を過ごしています。

 

でも、やっぱり寂しい!(笑)

 

一緒にいるときはうるさいくらい。

そして、うるさくなくても近くでお絵描きしたりゲームしたり、お勉強してたり。

なんだかんだと居るという空気を感じるんですね。

 

いないと家の中がとっても静かです。

 

家族の大切さが身に染みます。

 

早く帰ってこないかなぁ〜

帰ってきたらきたでうるさいんだろうけど、それが幸せでもあると気付かされた日でした。

 

流れるように日々を過ごす

「日々の習慣」ってすごく苦手でした。

「今日から毎日これやるぞ!」って決めても、次の日には忘れてる。

そんなものでしょ?

でも、つっちーと暮らしだして、「日々の習慣」ができてきて、

しかも続いてる。

これをつっちーは「システムの力」って言います。

システムって機械とか仕事だけのことじゃないんですね。

日々の生活にシステムが入り込んだ今の状況、すごく好きです。

 

というのも、私たちの合言葉は、「お互い気になったことは必ず言おう」

本当に小さな気になったことや、普通だったら絶対言わないような言いにくいことも必ず伝えます。

同じことをやってたら、必ず毎回指摘する。

例えば、靴下脱ぎ捨てないで!とか(笑)

 

これまで私が失敗してきたのは、「思ったことを言わなかったから」

そして、「本当のことを言わなかったから」だと気づいたのも、このことからでした。

 

 

私は、思ったことをグッと我慢して言わない癖があります。

ま、いっか。と。

これが溜まって爆発して、大きな問題になる。

大きな問題になる前、小さなうちに修正することが、すごく大切だと気づきました。

 

ダメだと言われるからダメなのではなく、

ダメだから修正していこう、と。

そして、「一緒に」修正していこう、と。

システムの力って本当にすごい。

そして、思ったよりシステムの力には柔軟性がある。

 

システムを日常生活に導入するようになって、生活がとても楽になりました。

そしてやれることが増えた。

 

例えば、今までずっとやりたかったけどやれなかった

「家計簿をつける」ことや、

毎日の

「料理を作る」

「洗濯をする」

「掃除をする(については、まだシステムがきちんと構築されていない!!)」

ことについて、流れるように(でも作業ではなく)自分が動くことができる。

とても自然で、柔軟で、居心地が良い。

一つ一つの物事に流れを決めて、

例えば私が料理をしている間につっちーが洗い物をして、その間にあきちゃんが公文をやってる(その間、みんなキッチンに集結)

とか。

家族みんなお互いのことを大好きで、常に一箇所に集まってしまう習性を活かしました(笑)

 

毎回言われても直らない習慣は、システムに無理がある。

だから、リビングに洗濯物を入れておくカゴを置いておくとか(絶対嫌だけど)

そもそもその状況にならないようなシステムを考える必要がある!!

それが、システム改善。

そして、その改善がうまく機能すると、改善される前よりも楽に物事が進んでいく。

 

プログラマーってそういう仕事らしい。

私もプログラマーになりたいなーって思った瞬間だし、

あきちゃんもそういう思考回路に育って欲しいなーって思った瞬間だったりするのです。